どうあがいても煮物は崩れる

基本的に分量は無視するスタイル。淡々と吐き出して整頓。

時代の晦日に考える

今日で「平成」という時代が終わる。
明日から「令和」という元号で時代が始まる。

 

10連休の4日目、私の心身は既に朽ちかけているのだが。
今日こそ夫に息子を託して、数時間ではあるが一人の時間を確保した。

 

友人一家が宿泊し嵐が過ぎ去ったかのような家の中を片付け、
床を拭き、風呂を洗い、延々と生地を裁断し、接着芯をアイロンで貼り付けて、
二日前の残った冷や飯を温めて食べる。

 

適当にNHKEテレを見て、アプリで筋トレをし、また接着芯を貼り付ける。
それが私の平成の大晦日の過ごし方だ。

 

まあ、それでいい。


長いこと、改元すなわち天皇崩御であったのが、
今回は今上天皇の意向を汲む形で生前退位となり譲位=改元となった。

 

こんなに前向きに新時代を皆が祝福ムードで迎えるのは初めてだ。
おそらく、この国に住んでいる全国民にとっては初の事だろう。

 

そして思い出す。
30年ほど前、昭和から平成になった日の事を。

その前の年の秋から昭和天皇がいよいよ危ないという雰囲気になり、
TVでもテロップや夕方のニュースで陛下の容態を事細かに伝えていた。
とにかくテレビ番組がどれも暗くて、そういえば野球でドラゴンズが優勝したのに
あんまし喜んでなさそうだったなという記憶はある。
運動会の万国旗は飾られて無かったし、最後の万歳三唱も無かった。
それがつまり「自粛ムード」だったのだ。

 

昭和最後の日、だなんて表現は使えるわけがない。
平成おめでとう、だなんて表現もまたしかり。


しかし今回はそれが違う。
平成が終わる、そして新元号を皆が1年近く焦らされ心待ちにし、
令和っていい響きじゃん、と晴れやかな気持ちで御代替わりを待つ。


何だかすごいなあ、時代は変わったなあと思う。


平成の30年と数ヶ月は、「人と・社会の価値観」の変容の時代だったのかもしれない。
私が子供の頃は、父親が育児参加なんてほとんど無かった。
男は男らしい色や技能を身につけよ、女はしとやかに出しゃばらず、がまだ根強く残っていた。
オタクなんて某誘拐事件の影響もあり、異質の存在として鼻つまみ者みたいに扱われていた。


それが平成の終わりになり、今は何だか変わった。
オタク文化があっという間に市民権を得ているし、父親が子供を抱っこして街に出たり園の送迎に行ったり。
男・女に限らずジェンダーレスな考え方が少しずつ広がってきている。
少子化ゆえもあるのだろうが、企業から女は要らないと言われる割合は随分減ったのだろう。


令和の時代は、労働人口が減りゆく中でいかに細く長く生き延びていくかを追究する時代になるのかもしれない。
多分ベビーブームなんてもう起きないし、暮らしが豊かになることなんてもう無いだろう。
令和最初の小学生となる息子は、明日からの時代をどう過ごしていくのだろうか。

 

まだまだ男女平等だなんて胸を張っていえない社会ではあるけれど、
息子が長じて社会に出る頃には、もう少し男も女も、制限されず好きなことを主張し、その道を選べたらいいと思う。

 

性別国籍問わず一生を過ごしたい相手と添い遂げればいいし、
犯罪以外ならばどんな事でもやってみたらいい。
医者になりたい留学したいと言われたらちょっと家計と相談するしかないが。


そして私は、息子のためだけではなく、自分や周りのために何が出来るかなと考えながら生きようと思う。


私にとっての平成は、前半(小学生~大学生)は全然楽しくなかった。
後半(社会人になってから)はまあまあ楽しかったかな、という感想。
そうか、もう30年も経ったのか、と感慨深い。
よくもまああの環境でグレず、犯罪もせず、ここまで来たなと思う。


とりあえず10連休をもっと心穏やかに過ごせるように誰か三食作って洗濯して欲しい。
遅くまで寝ている夫の上に朝7時になったらタライが落ちる機械を作って欲しい。

怠けても良くないから家の掃除だけ頑張る。

 

夕飯は夫にスーパーの寿司パックでも頼もう。