息子を褒めると、幼い私が嫉妬をする
ちょっと間が空いてしまいました、ご無沙汰です煮くずれです。
最近、家庭でも職場でも「褒める・褒められる」について考える機会がありまして。
私は幼少時より親から褒められることなく育ちました。
否定する言葉は数多受けています。
不細工、馬鹿、でくの坊、飯泥棒、豚……実の親から受けるには酷い言葉だと気づいたのは大人になってからです。
お陰でとっっっても自己肯定感が低いです。
私自身の人格や存在に褒められるような部分なんてないと思って生きています。
誰かから褒められても「どうせ社交辞令だろう」「本心ではないだろう」「裏があるのだろう」とまず疑ってかかる癖がついてしまいました。
今でも夫や義父母、友人達にその辺について考えを改めるように諭されるのですが、なかなか難しいです。素直に受け入れるのに、ものすごい葛藤があります。
とか言いつつも、やっぱり本心では少しでも褒めてもらいたくて、勉強とか色々頑張っていたようなものです。
それでも上には上がいるし、親は褒めてくれない。だから「やっぱり自分はダメなやつだ」とそこで自分に見切りをつけて諦めてしまう。その繰り返しでした。
今でも親は私の事を褒めないし、息子の子育てに関しても「お前の事だからどうせ手抜きして酷い子育てをしているんだろう?」と決めつけて話をしてきます。
なのでここ4ヶ月ほど音信を断っていましたが、業を煮やした父が暴走しかかってきたので先日3分だけ電話で会話しました。母とは30秒で切り上げました。
「話す事ないからもう切るわ」と。
4ヶ月も音信不通であっても、親に話したい事が全くないのです。
これが、子を褒めずに育てた親の末路です。
なお両親は、私の歓心を得るために金で釣る作戦に出つつあります。
欲しいのは金じゃないんだけどな。
「お前は良くやってるね、すごいね」の一言でいいんだけどな。
両親は、人を褒めたら爆発する呪いでもかけられているんだろうか。
ならばいっそ私を心から褒めて爆発四散すればいいのに。
なので、私は息子に同じ事を繰り返さまい、と固く決意し、とにかく息子を褒めています。
もちろん、約束を破った時や、してはいけない事をした時は烈火のごとく怒ります。
ですが、それ以外に関しては、結果も過程もとことん褒めます。
ブロックで謎の物体を作っても褒める。
粘土で怪しいオブジェを作っても褒める。
お絵描きボードに「うんち~」と得意げに絵を描いても褒める。
とにかく私と夫でひたすら褒めて愛でています。
おかげで息子は大変よく笑う、現時点では自己肯定感と自信に満ち溢れた子供に育ちつつあります。
それを見て、嬉しくもあり、まぶしくもあり、そして妬ましくもある。
私が子供の頃から欲しかった「親からの承認・愛情」をこの子は存分に受け取れるんだよな、と。
そんな気持ちが胸の奥と記憶の暗がりでチラチラと疼くのです。
息子が赤子の頃、笑顔を見せたり寝返りをするようになった時期から、この感情をおぼえるようになってきました。
最初は「息子は可愛いのに、なんで嫌な気持ちがよぎるんだろう」と自分でも答えを見つける事が出来ず、悶々と夜布団の中で考える事もありました。
その答えに気づく事が出来たのは、一昨年の帰省の時。
息子をひたすら褒める自分の親を見た時、
「あ、私は息子に嫉妬しているんだ」
と唐突に答えが出たのです。
どんなに勉強を頑張っても、習い事を頑張っても、周りが称賛する賞を取っても、絶対に私を褒めなかった親が、息子には無償の笑顔と褒め言葉を与えている。
孫だから可愛いというのもあるのでしょうが、30歳を過ぎていようが私も褒められたかった。
息子が褒められて笑顔を浮かべるたび、胸の中によぎる疼きは「嫉妬」だった。
きっと、褒められなくて悔しくて泣いている幼い自分が、私の記憶の中で「もっと褒めて、認めて、抱きしめて欲しい」と叫んでいるのだろう。
そう気づいてからずっと、「幼いころの自分」と向き合わなければならないなと思っていました。
何故人から褒められても素直に受け取る事が出来ないのか。
最近、その答えが少しずつ見えてきた気がします。
「褒められなかった幼い自分に申し訳ないから」
じゃないのかなと。
今の私を褒めてもらっても、一番褒められたかった子供の頃の私が「私も褒めて欲しかった!」って泣き叫んでいる気がしてならないのです。
最近、とあるフォロワーさんと「素直に言葉を受け取る」という事について話をして、改めて考える時間がありました。
今の私は多分、このままでいい。
何故か良く分からないけど私の事をやたら褒めてくる夫と義両親がいて、大好き~って抱き着いてくる息子がいる。
気づけばTwitterのフォロワー数もとんでもない数になっていて、戦友と呼べる方も出来て、地元から離れたこの土地でも知り合いが増えた。
今の私は「私なんて無価値だ、しょうもない人間だ」と卑屈になる必要はないんだろうなと思えるまでには自己肯定感は回復しています。
ですが、私の中の幼い自分がやっぱり成仏してくれない。
もうしばらくは、息子を褒めた時は、心の中で幼い頃の自分も沢山褒めようと思います。
しかし、ひたすら褒めて育てられた夫を見ていると、「子供の人格や個性を否定しない」って本当に大事だなと実感するよ……
私の両親の、私に対する扱いを人に話すと「よくグレなかったね」「よく真面目に育ったね」と言われますが、自分でも良く頑張ったと思うわ。
とりあえずトマトの苗も褒めてみようと思う。でもきっと味は変わらない。