どうあがいても煮物は崩れる

基本的に分量は無視するスタイル。淡々と吐き出して整頓。

買った方が早いのかもしれないが、そこに布があるから

今更ですがここ数年ほどの私、ハンドメイドを趣味としております。

もう少しつぶさに書くと「ミシンで変な柄の布を縫い合わせる」か「毛糸を棒で絡め取って何かよくわからない広いものを編む」のを日々の楽しみとしています。

 

たとえばこんな。

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我が家にはアホかってぐらいの生地が大量にあって、引っ越しの前後で譲ったり捨てたりと大分手放した(トータルで30m分はお譲りした)のですけれども、それでも手元に残しておきたい生地がまだまだあります。それはポーチにしたり、いつかバッグにしたいと思って買ったものです。その「いつか」は未定ですが。

 

とはいえポーチもバッグも作るのはそこそこ手間がかかります。

正直、100均ショップとか雑貨屋さんで買った方が安いしいいものが買えるかもしれない。いや確実に買った方が楽なんですよ、布小物も編み小物も。

 

でも、そういった店に自分が欲しい柄とか、大きさとか、色とか、機能を併せ持ったものがあるかどうかは未知数。見つかったら本当に幸運。だから人はそういう物にお金を出すんだよね。

そして中々見つからないとなれば作るか作って貰うしかない。

 

現在は最低限の技能だけは得たので作れるものはなるべく自作です。でも面倒な時は妥協点を見つけて市販品に頼ってます(普段使いのバッグとか)

 

特に最近はマスクとかエコバッグね、大人用のサイズはちらほら見かけるようになったけど子供サイズの紙マスクは中々見つからない。高値で転売屋から買うよりは自分で作った方が早いかもしれない、と慣れない立体マスクをちまちまと作ってます。子供ってすぐ汚すしなくすしなくすしなくすし……ぶつぶつ

 

ちょっと車を走らせたら雑貨屋さんに子供サイズのマスクも売っていて、それこそ往復30分でマスクは買えるけれど、せっかくなら息子の好きな色で作ってしまおうと。

裁断は面倒ですが、縫っている間は無心になれるのです。

 

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規則的なミシンのモーター音は、さながら抱っこされた赤子が親の心臓音を聴いて落ち着くのに似ているのかもしれないなあ。

 

その無心の時間がどうも心地よすぎて自分はミシン作業をやってるんじゃないかとすら思うぐらい。

時折縫っている間に今までの嫌なこととか思い出してしまうのですが、それすらミシン作業と同時に昇華されていく気がするのです。

いやけして生地が藁人形の代わりとかじゃなくてね。

呪いをかけるならちゃんと藁人形作って丑三つ時にどこかの森にでも行きます。

 

縫っていたり編んでいると、今までの嫌なことすらどうでもよくなるというのが正しいかな。モヤモヤしていたからって何にもならないし、その人達はきっと私のように引きずってはいないだろう。だったら考えるだけアホらしいな、と思えてくる。

 

 

 ちなみにハンドメイドから離れられない理由については一昨年書いてました。

nimonokuzureta.hateblo.jp

 

出来上がった瞬間の達成感に勝る快感を未だに見つけられないまま数年が経ちます。

そして寝る前に魔が差してポチってしまった生地が届いた瞬間の達成感も中々よろしい。

 

昨日も息をするかのごとく生地を注文してしまった。

もう本当によろしい、よろしいことだ。

 

 

……いや、よろしい、で済ませちゃだめだな。

 

 買った生地はちゃんと形にします、形にしますとも。

 

 

 

しばらくはこの唐草模様で近場のちょっとした買い物に出かけます。泥棒か。

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