どうあがいても煮物は崩れる

基本的に分量は無視するスタイル。淡々と吐き出して整頓。

あの日、私はEテレ幼児番組に救われた。

3/29、この日にEテレの多くの番組で主要キャストが卒業。

 

シャキーン!(うちはまだ見せてない)

みいつけた!(夕空スイちゃん可愛かったなあ)

いないいないばあっ!(ゆきちゃん)

おかあさんといっしょ(よしお兄さん&りさお姉さん)

 

今年ラッシュ過ぎるよね…………2月から分かってたとはいえ、やはりこの日が来ると感慨深い物がある。

 

私がEテレの幼児向け番組を見せ始めた日は今でもはっきり覚えている。

2014年6月27日金曜の夕方だ。

 

この頃、1歳になる前だった息子の育児に私はとても疲れ果てていた。

夜は抱っこし続けているか添い乳でないと寝ない、ミルク拒否だから代替案もなし、日中も常にかまってないとすぐ泣く、昼寝も布団ではせず家の中でもエルゴを装着して抱っこしながら家事をしていた。

 

離乳食なんて全然食べないし、毎日労力を使ってもほぼゴミ箱に破棄する生活。

 

支援センターに行っても「うちの子よく寝るよ~」「何でも食べてくれるから助かる~」という言葉が胸に突き刺さって、自分がいけないんじゃないか、息子はどこかおかしいんじゃないか、毎日そんなことを考えながら過ごしていた頃。

 

自分の睡眠なんて出産以降まとまって1時間以上寝られた事がなくて、細切れ睡眠ゆえに身体も疲労困憊。

 

保健センターに泣きついても、

「今が大変な時期だから頑張ろうね」

「添い乳やめてミルクにしたらぐっすり寝るかもね」

「旦那さんに協力してもらって休んで」

とよくあるアドバイスしかもらえず、それが出来るのならばとっくにやってるわ!出来ない状況だから困ってるのに!と心身ともに荒んでいた。

ファミサポも人員不足で利用できない状態。

 

更に、荒れ放題の家の中をなんとかしなきゃと言う気持ちも余計に私を焦らせていた。

部屋の中も片付けたい、洗濯物も畳んで仕舞いたい、台所を整頓したい、とにかく家を片付けたい。掃除がしたい、ゴミ屋敷で育児だなんて…………と思っていた。

 

いつになったら息子は私抜きで穏やかに過ごしてくれるんだろう、いつまで抱っこして乳を与え機嫌をとらなきゃいけないんだろう、疲れた疲れた一人になりたい、もういっその事ベランダから落ちてしまおうかな、でも息子は痛いだろうから部屋に置いとこうか、私だけ死ねば楽になるだろうか、そんな考えが私の脳裏で首を擡げるようになっていた。

今思えば「もっと手抜きしたってよかったのに」とあの頃の自分を笑い飛ばせるのだが、あの頃の私は視界がとても狭まっていた。

 

 

6/27の昼間、自分のご飯も夕飯の支度もやる気が起きず、イオンまで出かけてベビーフードを買い、フードコートで息子に食べさせていた。

 

息子に食べさせながら自分の昼飯も一口ずつ食べていく。
だが、最初は機嫌の良かった息子も、ものの数分で抱っこしろ椅子から出せとぐずり始める。
自分の昼飯なんて結局まともに食べられない。冷めたオムライスを前に、仕方なく息子を抱き上げてあやした。
あやしながら苛立つ気持ちばかりが湧いてくる。


息子は一体何が不満なのか。

泣いてるだけじゃ何もわからないのに。

たまの外食すら私はまともに出来ないのか。

この子が生まれてから私の人生に自由なんてないじゃないか。

母親を苦しめるために生まれてきたのか。

家のことも自分のことも全然出来ない。夜も眠れない。トイレにすら満足に出来ない。

ああもう嫌だ疲れた、もうこの子を置いて帰ってしまおう。

優しい誰かに拾ってもらって育てて貰った方がきっと幸せだ。

 

「もう嫌だ、お母さんもう疲れた、バイバイね」

 

そんな気持ちが唐突に溢れ出て、私は泣く息子をベビーカーに置いて、その場を一人で立ち去ろうとした。
その時、すぐ横から声をかけられた。

 

「すみません、大丈夫ですか?」

 

相手は、ベビーカーで寝てる子を連れた、自分と同じような年の頃の母親。
何も返せない私に、そのお母さんはこう言った。

 

「支援センターで前に同じ日にいた事あって、見たことあるなと思って。人見知りがなければお子さん抱っこしてるのでご飯食べて下さい」

 

向こうも慎重に言葉を選んでいるのがよく分かる話し方だった。
その瞬間、私は人目もはばからず泣いてしまった。

 

ベソベソ泣きながら食べる私に、そのお母さんはこう話してくれた。
支援センターでよく私を見かける事。
いつも抱っこしてなきゃいけなくて、夜も眠れない、布団で昼寝してくれない、育児しんどいと話してるのを聞いていた事。
私が最近支援センターに来ていないから気になっていたと言うこと。
その方の気持ちが嬉しくて、余計に泣きながらとにかく自分のしんどさを吐き出してしまった。

 

そしたら、そのお母さんからこんな一言が。

「テレビ見せても平気なら、Eテレ見せたら朝と夕方は楽ですよ。うちいつもそうなんで」

Eテレって何?という質問に、「教育テレビですよ」と教えてくれたお母さん。


そう、それまで私はEテレの存在を育児から除外していたのだ。

 

テレビ番組ばかり見せたら発語が遅くなるとか、そんな論調を馬鹿正直に信じていた自分。
お母さんは教えてくれた。

 

「赤ちゃんだったら”いないいないばあ”と”おかあさんといっしょ”でも十分楽しんでくれますよ、一緒に踊ったり、歌ったり、私たちが子供の頃の歌もあって懐かしくて」

 

本当にそうなのかなあ、と思いながら、そのお母さんと連絡先を交換して帰路についた。
そして帰宅して、初めてEテレをつけた。チャンネルは「2」。
今まで2を押したことなんてあっただろうか。


そこからはもう色々と衝撃だった。
「みんな~げんき~?」とハイテンションなお兄さんお姉さん。
次から次へと出てくる歌。
人形劇も昔と変わらない感じ。
パント!って何?ハイポーズじゃなくなってるべ?
そして最後の体操、めちゃくちゃアクティブじゃない??
「何だこの人……変な顔だしめっちゃ楽しそうやん…………」
それがよしお兄さんとの出会いだった。
後で調べて同世代と知り衝撃を受けたっけな。


そしておかあさんといっしょが終わった後は、「いないいないばあっ!」。
なんだこのでかい犬みたいなの!めっちゃテンション高いモフモフやんけ!
何だこの耳にマラカスついてる可愛い生き物!!めっちゃ可愛いやんけ!ぬいぐるみ買うわ!
ほうほう、あのお姉さんはゆうなちゃんと言うのね、結構大きい子なのねー、というのが第一印象。


何より、この2番組を見せてる間、息子がいい子にテレビを見てる!
しかも楽しそうに手を叩いたり、ベビーフェンス越しに上下に踊ってる!
てか私の身体は今まさに自由じゃないか?
ご飯の準備がゆっくり出来るじゃん!!


そこからはもうEテレ様々です。
朝も7時台から色々やってると知って、夫の出勤後は常にEテレ
おかげで朝夕の台所仕事、洗濯もとても楽になりました。

 

テレビに任せて家事をするなんて、とお思いの方もいるかもしれませんが、とにかく「子供の相手を一時的に誰かがしてくれる」というのはワンオペ育児には本当に貴重なわけで。

それにだんだんと自分も歌を覚えてきて、一緒に歌ったりすると息子も楽しそうにしたり。

それまでは自分がずっと不機嫌というかしかめっ面だったからか、息子がこんなに笑う事はなかったなあと反省したほど。

 

あれからもうすぐ5年近くが経ちますが、ゆうなちゃんが卒業し、2代目スイちゃんも卒業し、
たくみお姉さんもだいすけお兄さんも卒業し、そして今年よしお兄さん&りさお姉さん、3代目スイちゃん、ゆきちゃんも卒業。
自分がしんどかった育児時代をテレビの向こうで助けてくれていた彼らに、感謝の言葉がいくらあっても足りないほど。

 

Eテレの幼児番組含めて、子供向けコンテンツを馬鹿にしていた自分を5年前に戻ってぶん殴ってきたいです。
もっと早く見せたり一緒に楽しめたら良かった。
そしたらあの暗黒ワンオペ育児時代もなかったろうに。

 

とにかく、おかいつもいないいないばあっ!も、その他幼児番組からも、親を1人にしない、一緒に子育てしますよ!ってパワーみたいなものを感じて心強かった。

子供を夢中にさせてくれる、子供が真似したくなる何かがあったな……

大人が夢中になる番組もあるけど!


テレビを見せたら馬鹿になる?そんな事ないから!
むしろEテレのコンテンツは大分良質だぞ!
うちがテレビ解禁してから大半の時間はEテレです。はい。
夜は夜で大人向けの面白い番組ばかりだしな~
受信料払うのが惜しくなくなった。

 

あの時、フードコートで声をかけてくれたあのお母さんがいなかったら、今の自分はどうなっていたのかなとたまに考えます。


あのお母さんはその後海外に転勤帯同となり、今ではほとんど連絡も取れていませんが、今でも自分と息子の恩人です。
もし彼女が「テレビなんて見せちゃだめ、今しかないんだから子供とじっくり向き合って」という人なら間違いなくその帰りに私は息子と心中していたか、置き去りにして逮捕されていたかもしれない。


今もし、テレビを見せることにためらいのある親御さんがいたら全力でおすすめしたい。
Eテレはいいぞ。

お兄さんお姉さん達のありがたさったらものすごいぞ。

新しいお兄さん&お姉さん達にも期待!