どうあがいても煮物は崩れる

基本的に分量は無視するスタイル。淡々と吐き出して整頓。

地方の田舎の現状を見てきた

どうもこんばんは、クソ田舎に寄生、じゃなくて帰省していたかぼちゃだよ。

2年ぶりに数日間帰ってみて色々思う事があったのでつらつらと書くよ。

 

一言で言うなら

 

「田舎やばい」

 

いろんな意味で。

 

地元の現状

私の地元は自他共に認める田舎。

人口は1-2万人の間、特急は止まらない、山林の方が多い、

整備されていない国道しか通ってない、そんな感じ。 

人よりも多分鳥や虫や獣の方が多いんじゃないか。

 

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自分が子供だった30年前はもう少し施設も店もあって、域内に人がいるような印象があったけれども、この30年間で店は潰れ、人は去り、駅前の商店街なんかもはやゴーストタウン。

お盆期間というのを慮っても、どの店もシャッターシャッターシャッター。空いてるお店は花屋さん。しかも花屋さんの中で果物売ってる。

ああ、墓参用なんだな、とすぐわかる。 

 

この駅前シャッター通りに10分ほど車を停めて、昔なじみの和菓子屋さんに行ってみたけれどその間ほとんど車も通らなかった。つまり駅を使う人間があまりいないのだ。

そもそもここは地方の田舎だ。里帰りする人の方が多いであろう地域なのにもはや駅前商店街は用済みかのように打ち捨てられている。今や郊外のスーパーとホームセンターで大抵のものは揃うのだから。

 

スーパーは2つあるものの、店内にあまり人はおらず、ベンチに座って喋ったり休憩しているのはどれも高齢者。

店内の掲示板に貼られているのは、「宅食・送迎ボランティア募集」や「地域いきいきだより」とか「健康ウォーキングのお知らせ」「特殊詐欺に注意!」という紙。

 

今住んでいる所のスーパーは「●●保育園 子育てクラブ」や「少年サッカー団 団員募集」とかそういう類いの掲示が多いのでかえって新鮮だった。対象年齢が一気に跳ね上がっている。

 

元ショッピングセンターだった建物は薄暗く、客もほとんどいない服飾コーナーの音楽と食品コーナーの音楽がいり混ざる中、定期的にピッピッとなるレジの音だけが響いていた。

 

息子は「おかあさん、なんか暗いね」と言って私の服の裾を引っ張り早く帰ろうと促した。

駐車場では、すぐそばのパチンコ屋に向かう男性の姿がやけに多いのが印象的だった。

娯楽のない地域においては、パチンコ屋が数少ない楽しみなのだろうか。

 

ショッピングセンターの入り口そばの「インフォメーションコーナー」には「移住おすすめガイド」なるものが置いてあった。

そのラックに貼られていたPOPには「●●(雑誌名)2017年住みたい田舎▲位!」とあったが、良ーく見ると「(シニア世代)」って書いてある。

既にこのムラは、高齢者向けの自治体になってしまっているようだった。

 

退屈している息子の為に本を買うにも、本屋は盆の間お休みだったので結局隣の隣の市まで行くことに。

誕生日を迎えた息子におもちゃを買うために父が車を出してくれたが、それもまた山越えで1時間半。

ゲームセンターや栄えているショッピングモールに行くにも山越え必須。

 

あれ、私は結婚するまでこんな感じで生活していたはずなのに、現時点でとても面倒くさいぞ?と思ったのだった。

半径数キロ以内で何もかも充足してしまう生活に慣れると、田舎の生活のなんと不便な事か。

 

若い世代の姿がない

帰省して、天気のいいうちに街(と呼ぶにはしょぼすぎるが)を見て回ったが、夫と共に感じたのは、若い世代の姿を見ない、という事だった。


暑さもそこまでではなかった日、地域で一番大きい公園に出かけたのに
1時間の間で子連れと遭遇した回数はたった1組。

駐車場には10台ほど車が停まっているのに、子供が降りてこない。
車内で休憩か、停めてどこかに行っていたのかもしれない。

そもそも公園の場所も、街の外れにあり車がもの凄い勢いで走っていく幹線道路沿いだ。自転車で来るにも歩道が狭いか無い。そもそもあまり子供が来ないのかもしれない。


実家の近くにも、記憶にある限りでは5件私と同世代が住んでいて、
うち4件は息子と年の近い子供がいるはずなのに、3日間で誰とも会わなかった。

 

実家のある地区は、私が子供の頃は子供の数がとても多く、
小学生だけで80人近くいたのに、今は散歩していても誰とも会わない。

 

昔遊んだ公園は「立ち入り禁止」となっていて草ぼうぼうだったし、
誰でも使えるグラウンドには人っ子一人いなかった。
周りには家が20軒ほどあるのに、子供の気配がないのだ。


時期的に、子供会の夏祭りがあるはずだったのに、夕方から公民館に向かうであろう子供の姿も無かった。
母に聞いたら、「夏祭りなんて何年か前にやらんくなった、来る子が少ないし」と言う。

 

庭先で息子と遊んでいた時に、通りかかった近所のおばさんもこんな事を言っていた。

 

 

それこそ、庭先で子供が遊ぶ姿を見られるのは今のところうちの実家だけらしい。
(弟夫婦の子供が来たときのみだが)
だから息子の姿すら物珍しいと。


聞くと、私の幼なじみや知り合いの多くも今は近隣自治体に居を構えているようだ。
帰省する度段々遭遇率が減ったなあと思ったが、つまりは皆「住みやすい、栄えている場所へ逃げた」のだ。

ちなみに私の弟も隣町に家を建てている。

長男だからと残るわけではないのだ。

 

 

 地域の新聞を読んでみた

 

滞在中、久々に地域の新聞を読んでみた。
(近隣市町村のニュースがまとまっている地域密着タイプの新聞)

私の地元は盆の頃に成人式をやるのだが、参加人数を見てとある事に気づいたのだ。


地元の成人式、対象者150名に対して参加者70名。

隣町の成人式、対象者160名に対して参加者130名。


この参加率の差だ。

 

地元の成人式は必ず式典受付時に
消防団への勧誘」「現在の進学・就職先・住所を書かせるアンケート」
「将来ここに住む気はあるかという調査」が行われるらしい。
あと地元に残って働いている人をまとめたリーフレットが配られると。
今年は介護事業所の求人ブースがあったようだ(親族がスタッフで行ったので)。

 

そして、参加する人の多数は県内残留組が多く、県外に出て行った人の参加率は低い。
なお私も成人式に参加していないが、その時の参加率も45%ほどだったのを覚えている。(数年前に、出身者に対してのアンケートが行われたような記憶があるが、その時も戻る気は無いって回答して返した記憶がある)


隣町の成人式は、地元企業の紹介ブースと、式典とは別に地区ごとの集まりがあること以外は特に情報は出てこなかった。


これを読んだ印象としては、地元は「残って地元に貢献しろ」という圧が強く、
隣町についてはそこまでの圧は無いと言うことだ。

 

あと、隣町に関しては随分前から子育て支援や若い世代の移住、定住促進制度が進んでいること、立地の割に土地が安く取得出来て、国道バイパスが通った事で大きな店や企業誘致が進んだ事でどんどん栄えているのだ。

 

街が栄えているからといって成人式の参加率に直結するわけでは無いが、
隣町に関してはなんとなく「未来が見える」雰囲気があるように感じた。
子育て支援があり、就職先がある街だからこそ、ここで育った若者は「大事にされた」感覚がある=愛着心が培われたのかもしれない。だから自然と足が向いてもおかしくない。


一方で地元は、何か先が見えない……という印象しかない。
地元に残ってもこれといった勤め先が無く、結局近隣市町村に働きに行くなら
別にここに住む必要ないんじゃないか?と出て行く人が多いわけで。
ちなみに新聞にあった求人情報を見ると、福祉系も製造系も、正社員16-20万のものばかりだ。
パートも時給は最低賃金レベル。
昔店や保育園が会った場所は今ほとんどが高齢者向け施設になっている。
自分の通っていた保育園も老人ホームになった。
マックはとうの昔に潰れ、服も本も買えない。町中のコンビニは3軒とも無くなっていた。

軽くお茶をする場所もないし、ご飯を食べる場所も無い。

若い人が行く場所がないのだ。

  

 

代わりに増えたもの

 

そして、やたら増えた空き地に目立つものがあった。
太陽光発電ソーラーパネルだ。

しょぼくれた幹線道路沿いの畑、昔田んぼだった所、山の斜面を切り開いてずらりと並ぶソーラーパネル
夫曰く、「何も無いところほどこれがある気がする」と。


そのうち、人口よりパネルの枚数の方が多くなるんじゃないかね。

 

あとは空き家と更地も増えた。

昔からあった古い大きな家、同級生の家、今回見ただけで7件ほどが更地もしくは「売り家」の看板が掲げられていた。


実家の近所にあった、築10年も経っていないであろう大きな家も売り家になっていた。
やっぱりそこも、二世帯住宅で建てたけれど若夫婦が出て行って、老人二人では持て余して手放したと言う。
若い世代に選ばれない自治体で二世帯住宅を建てるのはもはやリスクが大きいのだろう。


実家も築20年を迎えたのを機に屋根と外壁を直したようで随分きれいになっていた。庭の砂利はインターロッキングなるものに変貌し、玄関にはスロープまで出来ている。

足腰が弱る老後を見据えた処置なのはよく分かるが、とはいえ両親二人で住むには広すぎる実家は、遅くてもあと2,30年後には誰も住まない空き家になる。

私は来春関東に居を構えるし、弟夫婦も隣町に家を建てている。

つまり誰もこの家に住まないし戻らないのだ。

 

その辺の話をしたら、「きれいに使っているから誰か買い手がつくだろう」と暢気なもの。
国道と県道からも遠い、山の中の家をわざわざ買うような人間がどれだけいるのやら。
いつか自分はこの家を壊すための判断を下すのかもしれない。

20年前、ここに土地を買うと決めた両親に、私は必死で懇願したのを思い出した。

「もうここは嫌だ、隣の●●市か●●町がいい。ここは何にもない」

それでも両親はここから出る事はない、墓も本家もあるんだし、どこにでも行けて便利なんだから。そのうち道も店も増えるから、と突っぱねた。

それがどうだ、20年経ったらどんどん色あせて活気の無い寂れた街になってしまったじゃないか。

 


それぐらい、2年ぶりに帰った地元の行く末が真っ暗な闇に呑まれつつあるのを感じた。

 

そんな時に見たこのツイートと記事がまさに自分の思うことを述べていて、うんうんそうなんだよそうなんだよ、と首肯するしかなかった。


既存の住人(特に高齢者)を生かす為に、助成金やら一時的なキャンペーンで若者を無理矢理引っ張り込むのではなくて、
永続的に選ばれる自治体にならないと、街は若返らないんだよな。
だって若い世代には未来があるし、どこでどう暮らすか選ぶ権利があるのだから。
「お前の地元が過疎化でやばいんだ、故郷が大事だろ?だったら戻って貢献しろ」という圧だけじゃ人は戻らないよ。

 

きっと近い将来、私の故郷は地図から消えるのだと思う。

そう強く感じた帰省の思い出。